銀行の窓口で「ご本人さまの意思確認ができないため、お手続きできません」と言われる。親の介護費用なのに、親自身の預金から出せない。この壁に直面してから相談に来られる家族を、生活相談員として何度も見てきました。
この記事では、認知症に備える家族信託について、家族からよく聞かれる5つの疑問に順番に答えます。口座が動かせなくなる仕組み、成年後見制度との違い、費用の目安、始め方の3ステップまで、全体像がここでつかめます。
あらためまして、施設で生活相談員をしているわすれものです。介護のお金の相談は年々増えています。そして「もっと早く知りたかった」と言われることが、いちばん多いテーマでもあります。
疑問1|親が認知症になると、お金はどうなる?
本人の判断能力に不安があると、金融機関は本人確認を厳格に行うため、家族でも引き出しや解約が難しくなることがあります。定期預金の解約や大きな払い戻し、自宅の売却などが、家族でも代行できなくなっていきます。いわゆる「資産凍結」と呼ばれる状態です。
「暗証番号を聞いているからうちは大丈夫」と思うかもしれません。ですが、本人の意思確認ができない場合は、カードや通帳があっても取引を制限されることがあります。定期の解約や不動産の売却は、そもそも窓口での本人の意思確認が前提です。
これは銀行の意地悪ではありません。本人の財産を、本人以外が勝手に動かせないようにするための保護の仕組みです。ただ、介護費用を親の預金からまかないたい家族にとっては、深刻な問題になります。
施設への入居金、自宅の修繕、医療費。必要なお金は、認知症が進んでからのほうが増えていきます。それなのに、必要になったときにはもう動かせない。ここが、元気なうちの備えが大事だと言われる理由です。
通帳の管理や日々のお金の引き継ぎ方については、別記事「認知症の親のお金の管理|家族がもめない4つの進め方」で詳しく書いています。今まさに管理で困っている方は、そちらが先です。
疑問2|家族信託とは、何ができる制度?
家族信託は、親が元気なうちに、財産の管理を家族に託しておく契約です。託す親を「委託者」、管理を引き受ける子などを「受託者」と呼びます。財産から生まれる利益はそのまま親のものなので、親の暮らしのために使われ続けます。
契約で決めた範囲なら、親の判断能力が低下したあとも、受託者が財産を動かせます。預金の管理や介護費用の支払いだけではありません。施設入居の資金をつくるために自宅を売る、といった対応も契約に入れておけます。
例えば「預金のうち500万円と自宅を信託して、介護費用の支払いと、必要になったときの自宅の売却を長女に任せる」といった形です。何をどこまで託すかは、家庭ごとに設計できます。
ひとつ勘違いしやすいのは年金です。年金受給権そのものは信託の対象にならず、年金は本人名義口座で受け取るのが基本です。収入まで含めて全部を託せるわけではない点は、覚えておいてください。
凍結される前に、動かせる仕組みを作っておく。家族信託の役割は、この一文に尽きます。
疑問3|成年後見制度と、何が違う?
判断能力が低下したあとの財産管理には、成年後見制度という公的な仕組みがあります。家庭裁判所が後見人を選び、本人の財産を守る制度です。家族信託との大きな違いは3つあります。
- 始める時期:家族信託は元気なうちに契約する。成年後見は判断能力が低下したあとに始める
- 柔軟さ:家族信託は託す範囲を契約で自由に設計できる。成年後見は財産を守ることが最優先で、自宅の売却などに裁判所の許可が必要になる場合がある
- 費用のかかり方:成年後見は専門職が後見人につくと月数万円の報酬が続くことがある。家族信託は初期費用が中心
どちらが上という話ではありません。すでに判断能力が下がっているなら成年後見、元気なうちに備えるなら家族信託と、そもそも使える時期が違います。
成年後見には、裁判所が関与する安心感という良さもあります。親族間に争いがある場合や、管理を任せられる家族がいない場合は、成年後見のほうが向くこともあります。
なお、元気なうちに備える制度としては、後見人を自分で決めておく「任意後見制度」もあります。財産管理の柔軟さでは家族信託、施設の契約など身の回りの手続きまで含めた備えでは任意後見と、守備範囲が違います。組み合わせて使う家庭もあります。
疑問4|費用はどのくらい?デメリットは?
家族信託は契約書の設計がすべてなので、司法書士など専門家に依頼するのが一般的です。費用は財産の規模にもよりますが、専門家への報酬と公正証書の作成費用を合わせて、数十万円からが目安と言われます。
決して安くはありません。ただ、成年後見で専門職への報酬が月々何年も続く場合と比べると、長い目では負担が小さくなるケースもあります。
向き不向きもあります。向いているのは、自宅や賃貸不動産など、凍結されると本当に困る財産がある家庭です。逆に、財産が日々の生活費程度の預金だけなら、費用をかけて信託を組むより、社会福祉協議会の日常生活自立支援事業や銀行の代理人カードで足りる場合もあります。
デメリットも正直に挙げておきます。まず、受託者になる家族に負担がかかります。お金の管理を任される以上、記録をつけて、ほかの家族に説明できる状態を保つ必要があります。
また、家族信託がカバーするのは財産の管理だけです。施設の契約や医療についての判断といった「身上監護(本人の生活や療養に関する手続き)」は含まれません。そして何より、家族の合意がないまま進めると、きょうだい間の不信のもとになります。
疑問5|いつ、どうやって始める?
答えは「親に判断能力があるうち」です。家族信託は契約なので、親自身が内容を理解して結ぶ必要があります。認知症の診断がついたら絶対に無理、というわけではありません。ただ、進み具合によっては組めなくなります。
相談の現場にいて感じるのは、迷っている時間がいちばんもったいない、ということです。進め方は3ステップです。
- 親ときょうだいで話す。「お金の話」ではなく「これからの暮らしの話」として切り出すと角が立ちにくい
- 家族信託を扱う司法書士事務所や相談サービスの無料相談を使う。初回無料のところが多い
- 専門家と一緒に契約内容を設計し、公正証書を作る
切り出し方に迷ったら、こうした記事を親にそのまま見せる方法もあります。「こういう制度があるみたい。うちはどうしようか」。その一言で十分です。決めるのはあくまで親自身、という順番を守ると、話がこじれにくくなります。
どこに相談すればいいか分からないときは、地域包括支援センター(高齢者と家族の総合相談窓口)に「親のお金の管理を今のうちに備えたい」と伝える方法もあります。無料で、状況に合う窓口につないでくれます。
ひとつだけ、お願いがあります。わが家に家族信託が本当に必要かどうかは、財産の内容と家族の状況で変わります。財産管理の手段として有効ですが、状況によっては任意後見や日常生活自立支援事業のほうが適することもあります。この記事は全体像の整理までにして、最終的な判断は必ず専門家との相談で決めてください。
親のお金の問題は、起きてから調べると選択肢が減っています。元気なうちに知っておくこと自体が、いちばんの備えです。認知症に備える家族信託は、そのための選択肢のひとつです。

資産凍結で身動きが取れなくなった家族を、相談員として何度も見てきました。「元気なうちにお金の話なんて」とためらう気持ちも、よく分かります。でも、親が自分で決められるうちに決めておくことは、親の尊厳を守ることでもあると私は思っています。焦らなくていいので、まず家族で一度だけ話してみてください。

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