歩行器を押していた足が、ふっと止まる。危ないと思って、とっさに腰へ手を添える。そのとたん、「急がせないでくれ」と言われた。
支えたつもりの手が、本人には「早くしろ」の合図として届くことがあります。この記事では、待つ介助を気持ちの持ち方ではなく、場面ごとの線引きとして整理します。立ち上がり、歩行器での移動、食事、着替え、トイレの5つで、どこまで待ち、どこから手を出すかを具体的に書きます。
生活相談員のわすれものです。25年この仕事をしてきて、いちばん難しいと感じるのが、この「待つ」でした。手を出すほうが、ずっと簡単だからです。
「支えたつもり」が「急かされた」に変わる理由
人は、言われた内容よりも先に、触れられた強さと速さを受け取ります。とくに認知症のある方では、言葉の中身より口調や手の動きのほうが伝わりやすい場面が多いと感じます。
だから「危ないですよ」と言いながら腕をつかむと、伝わるのは心配ではなく制止です。こちらの意図とは関係なく、本人の側では「止められた」「せかされた」という体験になります。
もうひとつ、忘れやすいことがあります。自分でやれていた動作を途中で引き取られると、人は自信をなくします。次の日、その人は自分から手を動かさなくなるかもしれません。介助の速さは、その人の明日の動きまで変えてしまいます。
「もういい」と言われたときも同じです。あの言葉は、たいてい怒りではありません。自分でやろうとしていた途中で止められた、という合図です。だから、言われた側が落ち込む必要はありません。次の一回で、手を出す時機を半歩うしろにずらせば足ります。
手を出す前に、3秒だけ数える
待つといっても、ぼんやり見ているわけではありません。3秒のあいだに見るものを決めておきます。本人の視線、足の位置、次にどう動こうとしているか。この3つです。
触れるときは、声をかけてから。手を置く場所は、腕や脇をつかむのではなく、背中や腰に面で添えます。つかむ動作は、そのまま「止まれ」の合図になります。添えるだけなら、本人は自分の速さで動き続けられます。
3秒待たない場面もあります。ふらつきが大きいとき、床が濡れているとき、装具や靴がはずれかけているとき。ここは迷わず支えます。待つ介助は「支えない介助」ではありません。待てる場面と待てない場面を、あらかじめ分けておく仕事です。
場面別|どこまで待ち、どこから手を出すか
立ち上がり
待つのは、浅く座り直して前かがみになるまで。ここを飛ばして引き上げると、本人の足には力が入りません。
手を出すのは、膝が伸びきらずに座り直してしまうときです。声をかけるなら「立ちましょう」より「お尻を少し前に」。動きの名前ではなく、次の一手を言うほうが伝わります。
歩行器での移動
足がついてこない瞬間は、支えます。ただし、進む方向へ押さないこと。押すと本人は転ばないために足を急がせ、かえって危なくなります。
立つ位置は、正面や後ろではなく、半歩となりです。歩行器そのものを引くのもやめます。速さを落としたいときは、押すのではなく「いったん止まりましょう」と声をかけて、一度立ち止まるほうが安全です。
食事
手が止まったら、口へ運ぶ前に環境を見ます。スプーンの位置、椅子と机の高さ、利き手側に物が置かれているか、周りの音、入れ歯が合っているか。
食べない理由が環境にあるのに食べさせてしまうと、翌日も同じことが起きます。先に見るほうが、結果として早く終わります。
手が止まる時間が長いときは、声をかける代わりに、スプーンを持つ手にそっと触れて向きを整えるだけにします。口まで運ばなくても、動きが戻ることがあります。むせが続くときや、飲み込みに変化があるときは、待つかどうかの前に看護職へ相談してください。
着替え
袖に腕が通らないとき、全部やってしまうと次の日もできません。片袖だけ手伝って、残りは待つ。これだけで、その人の動作は残ります。
待てないのは、たいてい時間が押しているときです。だから着替えは、待てる日と待てない日をチームで決めておくほうが現実的です。
トイレ
立位が不安定なら待ちません。転倒の代償が大きい場面だからです。
その代わり、ズボンの上げ下ろしでは、手すりを持つ側の手を空けておきます。両手をふさがれると、人は自分で身体を支えられません。待つ場所を、動作ではなく手に置き換える考え方です。
待つか支えるかに迷ったときの順番
5つの場面に共通する順番があります。まず、失敗したときに何が起きるかを考えます。転倒や誤嚥のように取り返しがつかないなら、待たずに支えます。
次に、時間がかかるだけで済むなら待ちます。着替えが3分延びても、その人の腕は動いたままです。
最後に、待つと決めたら最後まで見ます。途中で不安になって手を出すのが、いちばん伝わりにくい介助になります。
待てない原因は、その人ではなく段取りにある
入浴、送迎、食事の準備が重なる時間帯に「待ちましょう」と言っても続きません。人手が足りないときほど、手が先に出ます。これは職員の優しさの量の問題ではありません。
できるのは、待てる場面を先に決めておくことです。朝の着替えは待つ、夕方の移動は支える。そう決めておけば、忙しさに判断を奪われません。
決め方は、ユニットや担当で話し合って構いません。全員の動きが同じになることより、同じ人に対して同じ対応ができることのほうが、本人には意味があります。
環境をひとつ変えるのも効きます。夜の足元を明るくする、よく使う物を手の届く位置に置く、椅子の高さを合わせる。人の見守りを増やすより、こちらのほうが確実です。
見守りを増やす前に環境を見直す。この順番は、事故を減らす場面でも同じです。よかれと思って動きを止める行為が、どこから拘束に近づくのか。その線引きは介護施設の身体拘束はどこからグレーゾーンかで整理しています。
待った理由を、言葉にして残す
「なんとなく見ていました」では、次に入った職員が手を出します。待つかどうかが人によって変わると、いちばん混乱するのは本人です。
記録には、待った根拠と結果まで書きます。「更衣、右袖のみ介助。左は自力で3分、疲労の訴えなし」。このくらい具体的なら、次の人も同じ判断ができます。
申し送りでも、待った場面をひとつだけ伝えます。全部を共有しようとすると続きません。「朝の更衣は左袖まで待ってください」。この一行があるだけで、次の日の介助がそろいます。
書くときは、数字を入れてください。「少し時間がかかった」ではなく「3分」。「ふらついた」ではなく「歩行器の右側へ2歩よろけた」。あいまいな言葉は、読んだ人が自分の物差しで補ってしまいます。
家族に「どうして手伝わないのか」と言われたら
待つ介助がいちばん誤解されるのは、面会に来た家族が見ている場面です。時間をかけて自分で着替えている姿は、放っておかれているようにも見えます。
ここで「自立支援ですから」と答えると、たいてい伝わりません。制度の言葉は、心配している人の耳には届かないからです。
伝えるのは、待った理由と結果です。「先月は右腕が上がりませんでしたが、今はご自分で袖を通せています」。できるようになったことを一つ挙げるほうが、説明として強くなります。
「絶対に転ばせないでほしい」と言われたときも同じです。放っているのではなく、待つと決めて見ている。そう伝えられるかどうかは、記録が残っているかで決まります。あざの不安を訴えられたときは、高齢者の内出血が増えた原因と対策も説明の材料になります。
待つのは、何もしないことではありません。手を出さないと決めて、見ていることです。決めた理由が言葉になっていれば、それはチームの技術になります。

待てなかった日があっても、それは優しさが足りないからではありません。人手と時間の問題であることのほうが、ずっと多いと感じています。せめて一日ひとつ、待つ場面を決めてみてください。その一つが記録に残れば、次に入る人にも引き継げます。

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