介護施設で生活相談員をしておりますわすれものです。
「お母さん、もう夜だよ。どこに帰るの?」——そう声をかけても、聞いてもらえない。毎晩同じやりとりが繰り返されて、もう声をかける気力もなくなってきた…。そんなふうに限界を感じている方はいませんか?
認知症の方が「家に帰りたい」と繰り返す行動は、帰宅願望と呼ばれます。介護をしている家族にとって、この帰宅願望ほど「どう対応していいかわからない」「何度対応しても疲れてしまう」と感じる症状はないかもしれません。
今回は、帰宅願望がなぜ起きるのかという背景から、やってしまいがちな逆効果な対応、そして疲れずに向き合うための具体的なヒントまでをお伝えします。毎日のしんどさが少しでも楽になるよう、現場の経験も交えながら書きました。
「帰りたい」という言葉の向こうにあるもの

帰宅願望とは、認知症の方が「家に帰りたい」と繰り返し訴えたり、外へ出ようとしたりする状態のことです。自宅で暮らしている方が「帰りたい」と言う場合もありますし、施設に入居している方でも同様に見られます。一見すると「今いる場所が嫌なのかな」と思ってしまいますが、必ずしもそうではありません。
大切なのは、この「帰りたい」という言葉が、単なる場所への欲求ではないということです。その言葉の奥には「不安」「孤独」「誰かそばにいてほしい」「役割を果たさなければ」という感情が隠れていることがほとんどです。
認知症が進んでくると、今自分がどこにいるのか、今が何時なのか、周りにいる人が誰なのかが、だんだんとわからなくなっていきます。そのなかで感じる不安や恐怖を、言葉にして表現できるのが「帰りたい」という訴えなのです。言ってみれば、今の状況に対するSOSのサインとも言えます。
帰宅願望が起こる3つの主な理由
① 今いる場所が「安心できる場所」だとわからなくなる
認知症が進むと、記憶障害や見当識障害(時間・場所・人への認識が薄れる症状)が起きます。そのため、毎日暮らしている自宅でさえ「ここはどこ?」と感じてしまうことがあります。施設に入居している場合はさらに顕著で、「見慣れない場所にいる」という強い不安が、「帰りたい」という言葉になって出てきます。
「ここがあなたの家ですよ」と正確な情報を伝えようとしても、本人の脳ではそれを正しく受け取れないため、説明は伝わりません。むしろ「そんなことはない、私は違う」と反発されてしまうこともあります。大切なのは、言葉での説明より「今ここが安心できる場所だ」と体感してもらうことです。
② 夕方になると不安が強くなる(夕暮れ症候群)

帰宅願望は特に夕方から夜にかけて強まることが多いです。これは「夕暮れ症候群」とも呼ばれています。外が暗くなってくると視覚から入ってくる情報が減り、脳が混乱しやすくなります。また、夕方は「家族が帰ってくる時間」「ご飯を作る時間」という昔の記憶が呼び起こされやすく、「私も早く帰らないと」という気持ちになる方が多いようです。
施設でも在宅介護でも、16時〜19時頃に帰宅願望が強まる方は非常に多いです。「また夕方が来た…」と家族が身構えてしまうのは、無理のないことだと思います。この時間帯を「鬼門の時間」と感じている方も多いのではないでしょうか。
夕暮れ症候群への対策として有効なのは、夕方の時間帯に決まったルーティンを作ることです。毎日同じ時間に決まったことをすることで、脳が「今はこの時間だ」と感じやすくなり、不安が和らぐことがあります。
③ 役割や居場所を失った寂しさ
「子どもたちにご飯を作らないといけない」「仕事があるから帰らないと」——帰宅願望の中には、こういった役割への使命感や責任感が含まれていることもあります。長年家族のために料理を作り、家を守ってきた方が、その役割を奪われたように感じて「帰って何かしなければ」という気持ちになるのです。
これは症状が悪化したのではなく、その人のこれまでの人生への誇りや、大切な人への愛情が形を変えて出てきているとも言えます。「何十年も家族のために生きてきた人が、まだ誰かのために動こうとしている」——そう思うと、少し見え方が変わりませんか?
施設の現場でも、「帰りたい」と言いながらも「でも皆さんに迷惑かけるから」と自分を抑えようとされている方をよく見かけます。その葛藤がまた不安を大きくすることもあります。
やってしまいがちな「逆効果な対応」

「ここがあなたの家ですよ」「もう夜だから出かけられません」——こういった正論での説得や否定は、帰宅願望を持つ方にはほとんど効果がありません。それどころか、「わかってもらえない」という焦りや怒りが増し、かえって興奮状態になってしまうことがあります。
また、「さっきも言ったよね?」「何度も同じことを言わないで」と繰り返しを指摘するのもNGです。本人は「さっき言った」という記憶がないため、突然責められているように感じてしまいます。正しいことを言っていても、相手の心が傷つけば意味がありません。
さらに、玄関に鍵をかけて物理的に閉じ込めようとすることも、本人にとっては「閉じ込められた」という恐怖体験になりえます。安全のためにやむを得ない場面もありますが、その場合も「閉じ込める」ではなく「一緒にいる」という雰囲気を大切にしたいところです。
認知症の方に共通して言えるのは、感情の記憶は残りやすいということです。「何を言われたか」は忘れても「嫌な気持ちになった」「怖かった」という感覚は残ります。対応の結果が本人に不快感を与えていないか、振り返ってみることも大切です。
疲れずに向き合う4つのヒント
① まず「帰りたいんだね」と気持ちを受け止める
いきなり解決しようとしなくて大丈夫です。まず「帰りたいんだね」「そうか、帰りたい気持ちがあるんだね」と感情を受け止める一言を伝えましょう。この一言があるだけで、本人は「わかってもらえた」と感じ、不安が少しずつ和らいでいきます。
完全に解決しなくていい。100点の対応をしなくていい。ただ「受け止めてもらえた」と感じてもらうことが、最初の一歩です。「帰りたいよね、そうだよね」と言えるだけで、場の雰囲気が変わることは現場でも何度も経験してきました。
② 帰りたい「理由」をそっと聞いてみる
「どこに帰りたいの?」「帰って何をしたいの?」と優しく聞いてみると、「子どもが待ってるから」「晩ごはんを作らないといけないから」「猫にご飯をあげないといけない」など、具体的な不安や心配が見えてくることがあります。
その不安に応える形で声をかけると、気持ちが落ち着くことがあります。「子どもたちならもう大丈夫よ、今日は一緒にいようね」「ご飯はちゃんと用意されてるから安心してね」という言葉が、「帰れません」より何倍も効果的なことが多いです。
大切なのは、「帰りたい」という事実への反論ではなく、その言葉の奥にある「心配なこと」へ応えることです。そこに気づけると、対応がぐっと楽になります。
③ 気持ちが切り替わる「別の時間」へ誘う
気持ちが高ぶっているときは、無理に「帰らせない」ようにするより、別の関心事へ自然に誘導することが有効です。お茶を一緒に飲む、好きな音楽を流す、昔の写真を一緒に見る、少し外を散歩するなど、「今ここで安心できる時間」を作ることで、帰宅願望が自然に落ち着くことがあります。
特に、その方が好きだったこと・得意だったことに関わる活動は効果的です。料理が得意だった方なら「一緒におやつを作ろう」、歌が好きだった方なら懐かしい歌を流す、といったように、その人らしさを引き出す時間が、帰宅願望の気持ちを和らげてくれます。
④ 夕方のルーティンを決めておく
夕暮れ症候群への予防として、夕方16〜18時の時間帯に毎日同じルーティンを設けると効果的です。テレビの好きな番組を見る、軽い体操をする、一緒にお茶を飲みながら話す、折り紙や塗り絵をするなど、その人が落ち着いて取り組めることを見つけてみてください。
「今日もこの時間がやってきた」という見通しがもてることで、脳が安定しやすくなります。最初から完璧なルーティンでなくていい。試行錯誤しながら、その人に合ったものを少しずつ見つけていきましょう。
それでも毎日続くと、家族が疲れてしまうのは当然です

同じことを何度も聞かれて、何度説明しても伝わらなくて、毎晩夕方になると緊張して——。それは本当につらいことです。「優しくしなきゃいけない」とわかっていても、イライラしてしまう自分を責めてしまうこともあると思います。
でも、疲れるのは当然です。どんなに介護が上手な人でも、毎日同じことを繰り返し求められれば消耗します。「疲れてしまう自分がおかしい」のではなく、それだけ真剣に、誠実に向き合ってきた証拠です。
もし余裕がなくなってきたと感じたら、まずそのことを誰かに話してみてください。ケアマネジャー、地域包括支援センター、かかりつけ医——誰でも構いません。「最近しんどい」と口に出すだけで、少し楽になることもあります。
また、デイサービスやショートステイなどの介護サービスを使って、意識的に「離れる時間」を作ることも大切です。「親を施設に預けるなんて」と罪悪感を感じる方もいますが、家族が心身ともに元気でいることが、長く介護を続けるための一番の基盤です。自分を大切にすることは、相手を大切にすることにつながっています。
まとめ:「帰れない」ではなく「ここが安心」と感じてもらうために

認知症の方の「帰りたい」は、不安や孤独のサインです。正論で説得しようとしても伝わらないことが多く、まず気持ちを受け止め、帰りたい理由を丁寧に探り、安心できる時間へ自然に誘導することが助けになります。
夕暮れ症候群への対策として、夕方のルーティンを作ることも有効です。完璧な対応でなくていい。「今日もそばにいた」「受け止めようとした」その積み重ねが、本人の安心感につながっていきます。
そして何より、毎日向き合い続けている家族自身の疲れも、きちんと大切にしてください。あなたが元気でいることが、一番の介護です。

施設で毎晩夕方になると「子供たちが待ってる、早く帰らないと」と繰り返される入居者の方がいました。
最初のうちは「ここがお家ですよ」と説明していたのですが、それよりも「今日もちゃんとご飯食べましたよ、子供さんたちも喜んでくれますよ」と声をかけるようにしたら、少しずつ穏やかになってくれたんです。
「帰れない」と伝えるより、「大切なものが守られている」と感じてもらう方が、心に届くんだなと実感しました。
毎日同じことの繰り返しで、疲れてしまう日もあると思います。それでも今日もそばにいてくださっているあなたの介護が、確かに誰かの安心につながっています。

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