高齢者施設で相談員をしておりますわすれものです。
誤嚥性肺炎で病院に入院中
「もうそんなに長くはありません。」
と、Dr.より説明があり、看取り予定で退院された入所者A様。
しかし、いざ施設に戻られると、開眼はされて声上がりも見られているため、看護師は直ぐに看取りの状態ではないと嘱託医と話をし、親族に了承を得て鼻腔チューブを購入。経管栄養で、栄養状態を保っている状態でした。
一ヶ月後、別件でA様の親族と話す機会があり、その際に
『Aは、病院ではもうそんなに長くないと聞いた(早くて一週間)。元気になっているのは、あなた達(施設)が、色々としてくれているからではないか?Aは、もう何も分からないんだから、何もしなくてよい。』
と、少しクレームじみた訴えがありました。施設長と看護師へ報告し、直接会って元気な姿を見れば、親族の気持ちも変わるのではないかと、面会の日程を設けました。
実際に面会されても、気持ちは変わらず
『生かされている!』
という言い回しです。
『お金もないので、長生きされるとこちらの負担も増えて困る、鼻腔チューブの購入を承諾しなければ…、栄養さえ入れなければ…。是非鼻腔チューブを外してほしい。この状態で生きている価値はないでしょう?』
生活相談員として、延命行為を断ってほしいという相談をされたのは初めてです。看護師の方から
- 退院された時、老衰状態ではなく、直ぐに看取りの状況ではなかった
- 経口摂取は困難であるが、このまま何もしないわけにはいかないため、鼻腔栄養を始めた(了承を得た)
- 勿論鼻腔栄養をしているかといって、長生きするとは限らない
と、一連の経緯を説明しました。しかし親族からすれば、病院から説明があった「もうそんなに長くはありません」が、鮮明に残っており、なおかつ生活苦と重ねて、そのようなお気持ちになられていると察しました。
ただし、ここでのポイントは
- 財産管理は、成年後見人である弁護士がいる
- 施設の利用料は、後見人が行っているため、親族の支払いは生じていない
- 看取り状態でもない利用者の医療処置を家族の希望するままに行ってよいのか(今回で言えば、まだ生きれる状態の方を、施設として断つことをしてよいのか)
挙げられます。今後生活相談員を軸に、後見人·親族とコンタクトを取っていく次第です。
施設の倫理?家族の希望? 入所者の生活を守るために優先すべき事は?
難しい課題であります。
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